『四十路半過ぎで勉強する友人の美しさと言ったら。。』

友人が勉強を始めた。

試験なんぞなければ、

四十路半ばを過ぎて勉強することなど、

なかなかない。

平日も仕事で帰宅は遅く、

土日だって、時間を確保したからと言って、

勉強できるとは限らない。

活字だらけの教科書を読む真剣な横顔は、

清々しいほどに美しい。

人が今よりさらに新しい自分になるために、

真剣に挑んでいる姿は、

心から感動するし、

こちらも触発される。

朝早く起きて仕事をしようと思っていた日曜日に、

目が覚めたら、もう11時過ぎだった自分なんぞ、

消しゴムで消したくなる。

それからいつもの朝のルーティンの行動をとって、

とっとと外へ。

人に会い、カフェで仕事。

隣の席で、たまたま会社法を勉強している20代くらいの女性と、

少しおしゃべりをする。

やっぱり勉強している人って、

美しいなぁぁぁと思いながら、

再び仕事をしようとしたら、

私のパソコンの画面が真っ黒け。

電源は満タンなのに。

30分くらい格闘したが、

生き返らず。

だが、ほとんどのファイルは、

Dropboxに入れてあるので、

このパソコンが死んでも、

まぁ支障がないことはいいとしても。

パソコンを購入するという

大仕事が待っていることが苦痛だ。

私は買い物は本当に苦手だ。

一番良いお得なものを選ばなければならないと

思うだけで、苦痛を覚える。

その道に詳しい人に、

選んでもらって、

はい、これいいよ。

と言われたら、それを買ってしまいたいほうだ。

だが、そんなことをしていたら、

自分はずっと、何もできない人になってしまうことを知っている。

ひとつひとつ調べていくことで、

自分の知識が少しづつ、

社会と繋がって増えていく。

そして、自分が知らないことは、

それが後々、もっと大きなストレスの原因になってしまうことを

知っている。

何か問題があったときに、

全てを人に聞かなければならなくなる。

それもまた人様に迷惑な話しで、

自分で解決できる知識と力があれば、

人に頭を下げて、時間を貰って、

教えてもらうストレスが軽減できる。

手に入れる時のストレス軽減がいいのか、

手にいれた後の継続のケアのストレス軽減がいいのか。

それは、後者のほうが、

かなりストレスは軽減される。

何かしようと思ったとき、

人に聞かないと全くわからない、

というのは、

自分の思い通りにいかないことが、

何十倍も増えていると言っていい。

最初は大変だけど、

自分で学んで、

トライして、トライして、

どうしようもない時は、

人の手を借りる。

これに限る。

この時、手を貸してくれない人は、

嫌い。

(笑)

「頑張って」とだけ言う人も嫌い。

頑張って頑張ってダメだから聞いているのに、

その頑張るポイントを、

その絡んだ問題を、

少しでも整理してくれる人を尊敬する。

いつも助けてくれる方々、

本当にありがとうございます。

私も負けずに学び続けよう。

 

追伸:
パソコンについてですが、
いろいろ試しましたがだめで。
30分過ぎたころ、何回目かの再起動で、
息を吹き返しました。
そろそろ寿命かもしません。
はぁぁぁ。

あと、自分で限界までやってから人に聞く。
というくだりですが。
とっとと聞いてしまったほうが、間違いが早くわかって、
とても早く道が開けることがあります。
質問を人にするしないのポイントは、
その時々の感覚で分かってくるようになると思います。
すんごい時間をかけて小さな自分の思惑の範囲でぐるぐる
回っているよりも、サクッと方向性が間違ってないか、
わかる人に確認すると、いい時もありますので、
他人にとっと聞いてしまうしないについては、
その人の質問力で、いっぱい質問していくと、
そのポイントがわかってくるものだと思っています。

 

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