『海外で9年間、男を養った独中女 vol.21』

 

2012.4月から連載した
『独中女の心の叫びを
聞いてくれ』リライトです vol.21

 

夢を抱いてアメリカに渡った和美さん。
不屈の努力で夢は叶ったけれど、
支えてくれた彼はいつしか堕落し始めて……。

 

主夫もポピュラーになる!?

先日『世にも奇妙な物語』のオムニバスで、
結婚に興味のある女性が収入でグレード分け
された男性と2日間だけ”仮婚”を体験する
というドラマをやっていた。

その仮婚を主催運営する会社名は
”働く女性のための仮婚相談所”だった。

システムエンジニアとして
バリバリと仕事をこなす

主演の石原さとみちゃんが、
エコノミー、ビジネス、ファーストクラス
それぞれのグレードの男性と仮婚を体験。

最終的にエコノミークラスの
一番収入の低いフリーター男性と
最後は本当に婚約する。

そしてさとみちゃんが
朝出勤するのを見送るのは、
エプロン姿のフリーター君。

「今夜の夕食、何が食べたい?」と
聞く姿はまさに主婦ならず主夫だ。

このドラマの顛末は、
この”仮婚”を運営する会社の

本当の名前は
”働かない男性のための主夫養成所”
だった。

いやはや、
時代を反映している。

「主夫」は今やドラマや
CMにしばしば登場する。

昔ほど物珍しくない。
家長として家族を養ってきた男性と
同じくらいの収入を女性も稼ぐように
なってきた時代の証である。

だが主夫になるのは
夫婦相互の同意があってのこと。

だがパートナーが計らずも
「主夫」の立場に甘んじる
ようになった場合の、
男女の仲はどうなるのか。

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本日登場する独中女さん。
会社員だった26歳の時、
新たに見つけた夢とは?

 

今日ご紹介する独中女は、
現在アメリカ西海岸に
在住の西本和美さん(仮名)43歳だ。

子供の頃から英語が好きで
短大で英文学科を学ぶ。

卒業後は、大手商社へ就職。
帰国子女が多い部署に
配属になった彼女は、

英文で海外との
やりとりをする
コレポンの仕事を必死に勉強。

だが5年、10年選手の
女子社員の仕事の内容や生き方を見て、

未来の自分の姿を重ねると
やりがいを見いだせなかった。

自分にしかできない
特化した仕事がしたい。

そう思うようになった。

ある日虫垂炎で入院した。
看護師の姿を見て、
人のお世話が好きだった彼女は
看護師を目指すことにする。

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入社から3年、23歳で商社を退職。

会社を退職する8カ月前から
朝晩の通勤時間で受験勉強をした。

当時は景気も良く寿退社する女性が多い中、
わざわざ今から勉強しなくてもと
上司や同僚から止められるも、

彼女は看護師の道へ進むことを選んだ。

晴れて合格し大学病院の
付属の看護専門学校に入学。

80人の中・高卒の生徒の中、
自分と同じ20代は3人しかいなかった。

貯金をはたき金欠なため、
日中の授業以外の時間は、
塾の先生と診療所や
夜勤の看護助手と
3つのバイトを掛け持ちした。

3年後の26歳の時、
無事念願の看護師になる。

その後、同大学病院で3年間働いた。

看護師として夜勤勤務もある中、
海外で働く夢のために、
英語を勉強し続ける。

 

この3年間の勤務状況を
聞くとめまいがする。

3交代勤務で
サービス残業は当たり前、

48時間連続勤務もあり、
3年間ほとんど家に帰った記憶がないという。

この過酷な忙しさの中でも、
海外で看護師として
働きたいという夢を持ち、

それを実現するための努力を忘れず、
細かな時間も無駄にせず英語を
勉強し続けた。

大学付属病院での
いわゆるお礼奉公の勤務を
3年勤め上げた後、

30歳の時、
貯めたお金で渡米。

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短大時代に1カ月間ホームスティを
した経験のある州だった。

到着して間もない頃、
街中で公衆電話を掛けようとして
まごついている時、

助けてくれたのがカタコトに
日本語を喋る外国人だった。

彼は父の仕事で日本の米軍で、
当時は自身も米軍に所属していた。

年齢は彼女より10歳年下の20歳。
電話の掛け方を丁寧に教えて

くたれた後、長々と立ち話しと
なり連絡先を交換。

その後何度かデートを
重ね日本という共通する話題で
気が合い付き合うことになる。

 

和美さんと彼はその後……

 

彼女は州立のコミュニティカレッジで
2年間就学。

このカレッジ卒業後には
州立病院で看護助手として勤務できる。

英語での授業は生半可ではなかったが、
夜なべをして辞書を引き勉強し続けた。

その時、彼が励まし続けてくれた
ことは彼女の助けとなった。

根性で州立のコミュニティカレッジを
卒業し、晴れて州立病院で看護助手として
働くこととなった。

それと同時に彼と結婚。

国際結婚に対しては抵抗はなかった。
彼女の両親は、日本語の話せるアメリカ人が
夫になることにあまり違和感を覚えなかった。

だが10歳年上の女房を貰うことを
彼の母親が許さなかった。

反対を押して結婚したが、
その後嫁の存在はないものとして
「無視」され続けた。

2人は、毎日2時間~3時間
話していても、

飽きることなく、
話題が尽きない仲の良さだった。

彼は英語と日本語と中国語を
話せるトリリンガルのため、
アジアへ転勤が度々あった。

だがその間も、チャットで
毎日欠かさずコンタクトを
必ず取り続け、長時間の会話は続いた。

だがあまりに転勤が多いので、
彼は軍人を辞めて一般人になると決めた。

米軍を辞めるのであれば
今後のことを考え、

彼女は彼に大学へ
進学することを薦めた。

この時、授業料は彼女が出した。

 

彼に勉強を勧めてみたものの……

 

彼女と言えば看護師のアシスタントとして
働きながら着々と勉強に励んだ。

コミュニティカレッジを
卒業してから5年目に、

州の看護師試験に合格し
州立病院で看護師として
働くことになった。

これは大変なことだった。

英語で患者の病状を
ドクターに伝え、

ドクターの指示を英語で
受ける訳だ。

これは英会話ができる程度の
問題ではない。

看護師になり給与も上がった。

この朗報に彼も喜んでくれた。
だが彼は彼女の努力する姿と反対に、
授業をさぼるようになっていた。

この時、生活費も全て
彼女が賄っていた。

彼女は時々彼に、もっと真剣に
学業に励むよう話しをするも、
いつも生返事しか返ってこなかった。

だがこの話題以外の時は、
相変わらず2人は仲が良かった。

大好きな食べ歩きと旅行に
一緒によく出かけた。
だが支払は全て彼女だった。

彼はとうとう授業に一切出なくなり、
とうとう大学を退学することに。

家でゴロゴロするようになった。
彼は、完全に彼女のヒモになっていた。

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バイトでもいいので
働くよういろんな
言い方で彼に伝えた。

責めてはいけないと、
それはそれは気を遣った。

だが彼は仕事を探すことを
しなかった。

大学を辞めてから3年が
経った時、

彼女はもう言葉を選ばなく
なっていた。

なぜ働かないのか。

何をして生きていこうと
考えているのか。

問いただすも彼から
未来に対するビジョンについて、
語られることは一切なかった。

彼女は子供が欲しかった。
だがこのまま彼女の

ヒモと化した彼だと
その設計も立てる
ことができない。

彼の無職のことは、
彼女の同僚、友人、
親戚からも度々聞かれるので
ストレスになっていた。

彼女は病気を発症した。
休職をせざるを得なくなった。

それでも彼は働こうとしなかった。

 

悩んだ末に出した結論は……

 

彼と彼女の間は自然に冷えていった。

別居することになった。

彼女は憔悴しきっていた。

心配する同僚だった独身の男性が
彼女を心配して度々彼女の家に
来てくれた。

籍は入ったままだったが、
の元同僚と彼女は結ばれた。

世間的に不倫になって
しまうことに抵抗はあったが、

同僚の存在は
彼女にとって

暗闇に火を灯してくれるような
希望になっていた。

1年間の別居後、
本年の1月に離婚が成立。

通算彼女は、
元旦那の彼を9年間養った。

元夫はこの9年間、
無職でぶらぶらしていた。

州の法律で、
今まで彼女が蓄えた貯金の半分と、
彼女の退職金予定額の半分も
彼に譲らなくてはならなかった。

現在、彼はそのお金で
生活し未だに無職のままだという。

この結果となっても彼女は、
彼のことが未だに憎めないでいるという。

(どんだけ優しいねん! )

彼女は不倫相手だった
彼との関係を清算。

病気も薬を変えて
徐々に良くなり復職した。

だが離婚が成立してからは
何のためにアメリカに
いるのさえ分からなくなり、

生きている自分の
価値があるのかなど
逡巡することも度々だった。

気分転換に
趣味のフラメンコに力を入れ、
テニスを始めたり、
海沿いのジョギングも始めた。

体力もついてきたと共に、
心境の変化があり
最近大きな目標ができた。

看護大学(4年間)を卒業することだった。

来月から昼は看護師として働き
夜は看護大学に通う。

 

和美さんには新しいパートナーも

 

ネットの出会い系で
知り合った男性と
何人かコンタクトを取り、

日本に1年駐在経験を持つ
5つ年下のフランス人と
現在お付き合いをしているとのこと。

何があってもへこたれない、
前進し続ける
このアクティブさに脱帽だ。

ちなみに彼は働いている。

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「これからもずっと
アメリカにいらっしゃるのですか?」

彼女に質問すると
分からないとの答えだった。

看護大学を卒業し学位を取れば、
日本で医療英語での看護について
教鞭を執る可能性もあると聞いた。

日本女性の平均寿命が87歳。

まだまだ人生の折り返しに
来たので、

勉強できるうちは勉強し、
自分の選択できる道を
増やしておきたいという。

元夫に使われ三昧だったお金が、
今では自分のやりたいことに
全て使えて、邁進できる。

当たり前のことなのに、
このことがとても貴重に思う。

了見の狭い私には理解できないが、

不思議なことに、
彼女は、今でも元夫と時々会って
食事をすることがあるという。
私は驚いた。

二度と会いたくないと思わないのか聞くと、
元夫は今でも彼女のことが大好きで、
彼女もまた自分のことを一番理解
してくれている彼のことが、
好きだという。

そして彼の才能を今でも信じ、
成功して欲しいと心から願っているという。

ほんとか!?
いや、失礼。

わからん。
これは、夫婦喧嘩は犬をも喰わず。
という諺をよく表している。

他人には理解できないのだ。

しかし、不本意にも9年も
1人の男を養えるとは、

稼げる仕事がある女は強い。

違う言い方をすれば、
捨てるも拾うも自分次第なのだ。

これこそ選択肢がある人生と言えよう。

はたと気が付いた。
やはり、人様の看護をする
菩薩のような職業の方だからこそ
やり遂げられた9年だったのかもしれない。

いい意味でも悪い意味でもね。

それにしても、元夫さんは
主夫を目指したかどうかは
今となっては定かではない。

何があっても前に進む独中女は、
海外でも頑張っていた。

あたいもがんばろっ。
でも男は養いませんぜ。

 

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